ヒトは誰かの行動に不快感を覚えたときに「自分が不快感を抱いただけ」だと認識できず、「この人の行動はルール違反だ」と感じがちだ。そして、なぜルール違反だと言えるのか、必死で理論武装を始める。自分の個人的感情と、社会規範とを、直観的には区別できない(場合が多い)のだ。
なぜこのようなことが起きるのかというと、ヒトの脳は進化の産物だからだ。脳は"世界のありのままの姿を映し出す"ために発達したシステムじゃないからだ。脳はあくまで、自然選択=淘汰のすえにヒト個体の生存&生殖戦略を助けるツールとしてわれわれに備わったメカニックパーツだ。
脳は世界の現象を第三者視点でフラットに捉えることはない。感覚や感情を通して、つねにヒト個体と外部世界の特定の対象との〈相互作用〉としてあらゆる物ごとを認識する。よって、この例でも、「不快感」と「だれかの行動」は一纏めの相互作用として認識される。
いってみれば、ヒト個体がみずから意識的に認識する〈世界〉とは、脳のなかに作り上げられたモデルを認識しているに過ぎない。そのモデルは脳が〈相互作用〉をもとに作り上げたVRなので、”あの人が私に不快感を抱かせてくる” といった第三者の目からすればおかしな認識がまるで正しく思えてしまう。
ヒトが脳というツールを通して世界を認識している限り、「あの人がこのような行動をしていた」はけっしてフラットなイメージとしては認識されない。それはかならず「・・それをみて、私は○○とおもった/感じた」というような「じぶんの評価」がラベルされて記憶される。
なぜそのような仕組みになっているのか?──繰り返すが、脳は遺伝子の乗り物たるヒト個体の生存&生殖戦略を手助けするツールとして備わったパーツだからだ。ゆえにヒトのバイオ記憶は「ビデオカメラ」のようなものではない。それはまさに脳の中でテキトーに捏造されたイメージであり、感情が紐着く。
脳はわれわれに、「あの人がわたしに不快感を生じさせたのではなく、わたしが勝手に一人で不快感を抱いただけだ」というようなただしい認識を出来るだけさせないような仕組みになっている。なぜなら、そういう風にわれわれが世界との相互作用を軽視し、脳の世界観がVRだとバカにするようなことになると、われわれは生命有機体として、遺伝子の生存&生殖戦略に沿った"適応的"な行動を採ろうとしなくなるからだ。「俺はカンケーねーから!」な態度をされたら脳は困る。われわれにリアリティをもって世界を生きてもらわなければ困る。これがヒトの脳が冷たいコンピュータではない理由だ。
脳が進化的に構築された祖先の環境と現代の環境はちがう(たとえば、脳はまだ映像というものをその実感において「ニセモノ」とは認識できない)ために、いろいろな「バグ」も生じる。この例でも、自分の暮らしに関わりのない他人に「アンタがわたしに不快感を抱かせた!」と無駄ギレするのはバグだ。
基本的に、ヒトの暮らす社会はダンバー数まで(150人まで)の大きさだと脳は想定している。ツイッターでじぶんとは信条の異なる人間をエゴサして見つけて、そこに糞リプを送りつけるといったようなヒト個体の行動はすべてバグだ。現代社会においては適応的ではない。愉しいかもしれないが。
「この人の行動はルール違反だ」をわざわざ指摘したり、それに腹をたてることは、24時間ほぼ一生を共に暮らす原始的なヒトコロニー=150人までの集団では社会生活を送る上で不可欠なことだった。小学生がやる学級裁判みたいなのをいちいちやる必要があった。
ヒトが「自分の個人的な感情と社会的な規範を区別できない」生き物なのは、ヒト・コロニーにおける社会的な規範=ヒト・モラルとは、まさに個人個人の進化的に身につけられた「許せない!」な感情から文化的に生じたルールやマナーであるからだ。それらは遺伝子の乗り物たるヒト個体同士のESSだ。
ヒトの社会的 or 道徳的な規範は、そのほとんどが霊長類社会にそのプロトモデルが存在する。
参考:TED フランス・ドゥ・ヴァール”良識ある行動をとる動物たち”
霊長類社会におけるモラルは基本的に「向社会的=善」/「反社会的=悪」という価値観(バイアス)に基づいて設計されている。
たとえばの話、ヒトがもし霊長類を先祖に持たなければ、モラルはまた別の価値観(バイアス)に基づいて設計されていたはずだ。そしてそれをヒトはきわめて道徳的で素晴らしいものだと称賛していたはずだ。たとえば「ズルいぞ、おれにも!」と「独り占めするなよ」はサル社会の基本だ。
ヒトのオスがたくさんの女をたぶらかすヤリチン男を許せない!言語道断だ!と思うのは、それが「独り占めするなよ」「ズルいぞ、俺にも!」といった感情の進化基盤に紐付いている(それを意識するということではない)。ゆえにヒト社会ではヤリチン行為が「反社会的」とされ、1:1の結婚が賞賛される。
1:1の結婚、あるいは純愛が賞賛されるのは、それが「向社会的=善」だからだ。ヤリチン男が多くの女を独り占めするのは「ズルい」から、それは「反社会的」とされ、社会正義を伴った感情をフツフツと燃え上がらせるヒト個体が出てくる。
ある種の正義心は、「オマエむかつく!」といった個人的な感情を基盤に進化的に形成されたものだ。ヒトのこころは「社会ゲーム」をうまく賢く狡猾にこなせるような淘汰圧のもとに形成されていて、「あいつムカつく!」をいかに学級裁判で皆の賛同を得られるようにもっていくか、みたいな操作をする。
──これが、ヒトが「この人の行動はルール違反だ、許せない」と感情的に思った"あと"に、何故それが許されないのか、といった理屈を"理性"的にでっちあげ、後付けするという習性をもってる理由だ。こういった所作は社会ゲームをこなす上で適応的なため、ヒトは進化的にみな偽善を身につけている。
「誰かをうまく騙すには、まず自分の言っていることを自分で信じこむことである」 by 進化生物学者R.トリヴァース ──これこそまさにヒトの脳の仕組みなのだと、現代の神経科学(脳科学)は解き明かしている。