「恥」という社会的情動がある。これは「赤面」という動作が自動で生じるくらいにヒト個体に内面化されたものだ(あとから学習的に備えられたシステムではない)。──恥とは「社会的拒絶に対する恐怖」というシステムだ。じゃあ、コンビニのエロ本陳列に対して “恥ずかしい” と感じるのはなぜか?
恥とは”社会的な拒絶に対する恐れ”をヒト個体に備えさせることで、噂話がはびこりかつ共産主義的だった太古の部族社会において、ヒト個体をうまく生き延びさせ、その適応度を高めようとする心理作用だ。それじゃあなぜ、別に自分がハダカなわけでもないのに、コンビニのエロ本に「恥ずかしい」のか?
ここにミラーニューロンによる情動感染(共感)と、すばやい第三者目線からの自己認識、うまく「社会ゲーム」をこなすために身につけられた社会防衛心による逸脱からの回帰機能、逸脱者(逸脱物)への攻撃と排除という諸々の進化的ファクターを加えてみれば、すんなりと理解は纏まる。
もっとかみ砕いた言葉で説明するならば「集団から排除されることを防ぎたい」という遺伝子の意向によって”恥ずかしい”という情動は打ち出される。太古の部族社会において集団から排除され孤独になることはすなわち死を意味していた。
排除される要因の1つとして「感染症にかかっているかもしれない個体だから排除する」というのがある。大多数を占める健康な個体たちとは異なる奇妙なふるまいをしている個体は何らかの病気を患っている可能性があるため、集団から排除される。
知的障碍者を見たとき、気持ち悪いと思ったことはないだろうか。その情動(感情?)は、知的障碍者を何らかの疾病患者だと見なし、「病気を移されないようにそいつから遠ざかれ!」という遺伝子の意向によるものだ。
さて、集団から排除されそうな個体がとるべき適応的行動はさっさとその”奇妙なふるまい”をやめることである。”恥ずかしい”がうまく始発される個体が生き残り、恥ずかしく思わない個体は淘汰された。