タイトルに「は?」と思った人もとりあえず下まで読んでみてほしい。
なぜいじめが起こるのか、深く考えたことはあるだろうか。
いじめが起こる根本的な原因は「いじめの対象が集団から出て行ってほしいから」である。ではなぜ「集団から出て行ってほしいのか」2つの側面から掘り下げることができる。
能力が足りていない個体を排除したいから
いじめ対象の能力が集団にふさわしくないという理由。
石器時代において食料を得るために狩りをしていたわけだが、狩猟集団において能力が低く他の個体の足を引っ張るような劣った個体がいると狩りの成功率が下がる。このような劣った個体は狩りに必要がない。
もちろん現代では狩りは必要ないが、そういう遺伝子に根付いた認知は長く変わらない。私たちが脂質糖質を美味しく感じるのは、食物に乏しい石器時代においてそれらが優秀なエネルギー源だったからだ。しかし、食物にあふれた現代になっても未だなお脂質糖質は美味しく感じてしまう。私たちの体が文化の変化に追いついていれば、肥満という病気は存在しなかったはずだ
伝染病を持つ可能性がある個体を排除したいから
ふるまいがおかしいという理由でいじめられるのはこの理由が相当する。
伝染病に羅漢してそうな奇妙な振る舞いをする個体や、遺伝子異常の可能性がある個体を避けたり、ニキビや吹き出物を嫌悪したり、伝染病の源である「よそ者」を避けたりするという風なふるまいは古代から見られる。
他者に「キモい」と言われてしまうのは自然の摂理としてのこのような仕組みであったりする。つまり、誰もがキモく思われないように、奇妙な振る舞い・不自然な振る舞いをしない事を学校で学習する。
ご存知の通り、狂牛病に羅漢したウシ個体は、周りの個体とは違った奇妙な振る舞いをします。サピエンスは進化的適応環境において、それを免疫的に避けるよう心が進化している可能性がある。

いじめは”悪い行為”か?
ここで確認しておく。そもそも進化心理学の文脈では”悪い”、”良い”、”善”、”悪”なんてものは薄っぺらい戯言だ。ヤリチンからすれば非モテは”悪”だし(そもそも「道端の石ころ」程度の印象かもね)、反対に非モテからすればヤリチンは”悪”。金持ちからすれば貧乏は”悪”だし、貧乏人からすれば金持ちは”悪”。
善悪なんてものは相対的な評価でしかない。絶対的な善とか悪は存在しない。ざっくり言うと、自分の立場に近いほうを”善”、自分と敵対するほうを”悪”とするだけ。そういう風に表現することで自分の立場が優位であると知らしめたいor自分の立場が劣っていることを隠したいだけ。

話を戻す。こうして考えてみるといじめが”悪い行為”か怪しくなってくる。いじめっ子は自身が”悪”だと思いながらいじめているのだろうか。決してそんなことはない。集団内の利益を高めようとした結果、邪魔者を排除しているに過ぎない。これは進化心理学の文脈でよく出現する”正義”にも相当する。集団内で”モラル”を全員に守らせるという心理がある。”モラル”が守れない人には”制裁”を加え、集団を平和で健康な状態に保たなければいけない。
では「いじめは”悪い行為”」とする思想はどう生まれるか。いじめられていた、またはいじめられている人が非難するからだ。いじめっ子の逆の立場だからだ。他にも考察の仕方はいろいろある。いじめをするような性質はモテ男になる可能性が比較的高いため、非モテがいじめっ子を非難する光景はよく見られる。
幼少期にいじめっ子だった人が大人になって「あの頃はごめんな」と、いじめ対象に謝る事例はある。これは何か。1種マウントのような役割があると思われる。「昔は馬鹿だったからあんなことしたけど今の俺は大人になったからそんなことしないよ」とかいう。考察が足りない気はする。
そもそも
さらに言えば「いじめをやめさせよう」という規範的な行動こそ、根源的にはいじめと同種の動機を持っている。「”間違っている人”を矯正して、集団内を”正しい人”だけで満たそう」という動機は、いじめと異なると言えるだろうか。
進化心理学を学ぶと”正義”がいかに薄っぺらいか分かる。